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三上敦社長

 背は低くても力は強く、負けず嫌いな小学生。いつも遊びの先頭に立って、学級委員も務めるが、偉そうな態度で反感を買って仲間はずれを経験した。
 父は工業製品向けの砥石製造業を起こし、京滋地区の大手メーカーを取引先に開拓して行った実力者。ただ、家ではよく難しい顔で草むしりをしていて近寄り難く、新年の挨拶に訪れる従業員にも無愛想。「自転車が欲しい」と泣いて頼んでも買ってくれない頑固な父が次第に嫌いになって行った。
 その父に押し切られ嫌々進学した有名中学。それでも卓球部に入って懸命に練習に励み、個人で近畿大会に出場。ただ、3年間エースとしては君臨しても、まとめ役のキャプテンや後輩指導は人に任せていた。
 しかし、高校では卓球指導で有名な先生が率いる無敵の強豪校に勝てない。父に「あの高校に編入したい」と頼んで一蹴され、意欲をなくして退部するが、不良仲間と遊んでも面白くない。たった3ヵ月で舞い戻り、府の強化合宿で憧れの先生の指導にも触れると今まで以上に闘志が湧いた。そして、「インターハイに出られなければ卓球はやめる」と目標を決めて、毎日10キロを走り続けて臨んだ大会に負けると、大学進学の勉強に専念した。
 工学部へ進み講義や実験に忙しい日々の中スキーやテニスを楽しみつつも、部活に全力を尽くしている人達が羨ましい。ただ、「社会人になったら仕事で勝負や!」と自分に言い聞かせていた。
 一方で父は、石油ショックで工業用砥石の需要が落ち込み、やむを得ず従業員を解雇して以降、十数名で細々と会社を営んでいる。「もっと拡大すれば良いのに。俺なら事業の可能性を広げられる」と、卒業を目前にして会社を継ぐ意思を伝えると、父はただ「厳しいで」とだけ呟いた。


 「せめて30名くらいの会社にはできるやろ」と思い描き、父に頼んで最大手の研削・研磨総合メーカーに修行に出る。優秀な社員に囲まれ、最新コンピュータでの顧客や商品の管理を学び、業界の動向や商品の可能性を探って、「工業用砥石だけを扱っていても、会社は伸びない」と確信した。
 2年間の修行を終え、「ここにいろんな可能性があるんや」と意欲を高めながら父の会社に入社した。ところがすぐに『いろは順』の帳簿やそろばんを使っての経理業務を見て、40代後半以上の社員ばかりの会社の体制の古さに愕然とした。
 そんな中でも「せっかくの取引先に砥石と一緒に工具を売り込もう」と訴え始める。しかし、ひと回り以上年の離れた先輩社員たちは「他のモンを扱ったらウチの個性がなくなる」の一点張りで、工具メーカーを呼んで勉強会を開いても参加してくれない。それでも、「父や先輩社員に実力を認めてもらいたい」と、採用した20代の社員と砥石以外の商品の販売に奔走した。
 ところが2年が過ぎても成果はあがらず若手社員は会社を去ってしまう。十二指腸潰瘍を患い、妻の用意した消化のよい白身魚だけを何とか胃に押し込んでは体を引きずるように出社し、「俺にできることは何や?」と一人煩悶した。
 ある日、父にコンピュータの導入を訴えて年間利益の1.5倍の投資を認められると、毎日外回り後に一人黙々と顧客情報を打ち込んだ。


利益のほとんどを人材採用につぎ込んで必死の若返りを図っていた頃
利益のほとんどを人材採用につぎ込んで必死の若返りを図っていた頃。社員旅行での一枚。

 会議で品種別の受注データなどを集計して報告し続ける数ヵ月間。すると次第に「これは便利やな」と先輩社員にも認められ、ついに社員3人がかりだった経理業務は、専任者一人で管理できるコンピュータに一本化された。
 同じ頃、かつてから大雪が降ろうと朝晩に八日市まで往復して週に3回以上通いつめていた大手メーカーの担当者に、その熱心さを買われて工場の自動化を相談される。初めて扱う工作機械のメーカーとの交渉に奔走し、ついに億単位の契約を決めた。ただ、驚く先輩社員たちの一方で父からはねぎらいの言葉もなく、「まだ認めてもらえない」と悔しさを噛み締めた。
 それでも大型案件の実績ができて、大手工作機械メーカーが惜しまずバックアップしてくれる。それを見た先輩社員たちも、各自の抱える大手取引先に機械設備や工具の提案を持ちかけ始めた。徐々に砥石以外の商品の売上比率が上がってきて、入社4年目にしてようやく小さな手応えを感じた。
 更に「若手が自分だけでは将来が見えない」と、今度は父に黙って利益のほとんどを採用費用につぎ込んで人材を募る。しかし、十数名の中小企業に応募は数えるほどで、20代であれば必死で口説いて採用した。そして、そんな若手を飲みに誘っては「一緒に会社を変えようや!」と熱く語った。
 30歳で専務に就任する頃には20代社員も3人になり、売上の4割を機械工具類が占めるまでになった。そんなある日、父から「もう商品もわからんし、お前に任す」と実印を手渡された。驚きと同時に嬉しさがこみ上げた。


(記載内容は2006年11月時点における情報です)