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 ところが、「売上を伸ばす」「店舗を増やす」という指針だけで突っ走って設立数年が過ぎたとき、進むべき方向がわからなくなった。読書や社外の人と交流して勉強する中で、期限をつけた明確な目標を掲げる大切さに気づき、「10年後に年商を2倍にする!」などと思いつく限りを書き出して全社に将来展望を示した。
 同時に教育にも注力し、掃除の仕方から始まり、丁寧な接客姿勢を指導して、ときには自動車事故をおこした社員の親まで呼び出して叱りつけた。宅建の勉強会を開いては疲れて眠気をもよおす社員の足を引っぱたき、契約が取れない営業マンは翌朝7時から出勤させて応対訓練を実施し、朝礼では会社の目標と自分の信念などを伝えた。ひたすら「業績を伸ばせ!」と言い続け、利益が出れば社員旅行は海外に行き、成績優秀者には年収1000万円以上を支払った。
 ところが、大阪進出も果たして、立てた目標を上回る年商を達成し、店舗数を17にまで伸ばした1995年を境に社員が定着しなくなって、出店と撤退を繰り返すようになった。前年比の売上伸び率は頭打ちし、バブル崩壊で企業倒産が相次ぎ、世の中も業界も変化しようとしているのに、社員からは危機感を感じられない。中間管理職を置いても組織は機能せず、業務命令が現場の社員まで徹底されないばかりか、物件情報を仕入れても自分の売上のために職場には報告もしない営業スタッフ…。ジレンマを感じて完全に行き詰まった。
 「社員にとって、収入こそが大切だろうと導入した歩合給が、自分のことしか考えない心貧しい人間を作っていた。何でこんなことになったんや…」。勉強会に参加したり、本を読み漁る日々の中で、「今まで私がやってきたのは、営業部長の仕事だった…」と気づいた。


槇野社長新入社員と共に
今年の新入社員と。10年以上前から始めた新卒採用で入社した社員たちは今では会社の中核を担う。

 インターネットを活用した顧客への情報提供や、大手企業との競合に備えて大きな先行投資の必要性も感じて、歩合給の廃止を決断した。「成績のいい営業マンから辞めていくだろう。しかし、全員に辞められたとしても、社員が協力し合う会社を必ず作ってみせる」と覚悟しながらも、人が一度にいなくなってしまうリスクを考えて会議にかけて理解を求めた。猛反対する幹部たちと毎日のように深夜まで話し合った半年間。そして、3年間をかけて段階的に歩合給を廃止することになった。創業から13年目の39歳のことだった。
 自分が歩んできた道と新しい挑戦への想いを60枚もの書面にしたためて全社員に配り、経営理念も作った。一人40万円の研修を40人に受講させ、社内に新たな風を吹き込むために異業種の中堅社員をスカウトし、外部講師による勉強会も開催した。逆に、コンピューターを導入して、少しでも残業が減らせるような働きやすい環境を整えた。そして迎えた3年後には、退職者は30〜40人に留まり、新卒入社の社員のほとんどは残ってくれた。
 次に、部課長たちに経営の3ヵ年計画を立てさせ、その実行までを現場に委ねて、心を鬼にして社外に目を向け、交友関係を拡げた。その中で出会った経営者たちの影響で、社員に会社のことを考えさせるのと同じく、経営者も地域のことを考えるべきだと気づき、「京都元気クラブ」を発足し顧客サービス向上に努め、地域に密着した事業を展開する。
 業界のイメージや地位の向上という当初からの思いを実現させるべく、生まれ変わるつもりで新ブランド「エリッツ」も立ち上げた。女性顧客や英語しか話せない顧客のために「レディスカウンター」「イングリッシュカウンター」を設置した。並行して店舗数もどんどん増やし、仲介手数料半額化の流れの中でも着実に売上を伸ばしていった。
 「カッコいい生き方」を目指して早くから自立して、目の前の仕事や直面した課題に懸命に取り組むことで、能力を高めて視野を拡げてきた。今では新卒社員が7割を占め、「私を鍛えてください!」と入社してきた大卒が店長になり、逆に部下を厳しく指導している。今後は、いつでも上場できる体制を整備すると同時に、今まで自分を応援してくれた方々への感謝の意を込めて、社員一人ひとりの心の支えになってやりたい。


(記載内容は2006年6月時点における情報です)