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米田賢治さん

 一人校庭の裏で草花やきれいな石を眺めるのが好きな子どもだった。将来の夢はアインシュタインのような科学者で、「ノーベル賞をとりたい」と本気で思った。外で仲間たちと野球をするより、自室で無心に剣道ロボットなどを作ったり、10円玉同士をぶつけては飛んだ距離を書き留めて規則性を探り出す。中学でようやくそれが「運動量保存の法則」だと知り、成績は同学年400人中の2〜30番目程度だった。
 進んだ公立高校では、学園祭での取り組みとして、公害問題を現地にまで足を運んでレポートにまとめたり、科学誌や哲学書を読み込み、卒業時にショートSFを20篇も書き上げた。しかし、宇宙物理を学びたくて目指した大学には受験に失敗して、2浪の後に立命館大に進学して物理を専攻。一人暮らしをして、核物理研究会の部活に没頭するなかで「竜馬がゆく」に出会った。「薩長が手を結べるなら日本もひとつになれる。こんな夢大きく『無私』な思いができる人間になりたい!」と感銘を受けた。
 物理学者を夢見て受けた京大の大学院入試に失敗し、大学卒業後も翌年の受験を目指して京大聴講生として浪人した。ふと参加した地域の山岳サークルで、社会人が自活しながら何かを実現しようとしている姿に、「いつまでも親に頼る俺は甘えてはいないか…」とショックを受けた。それでも科学的な探究心を簡単には捨てられない数ヵ月間を過ごして、「そうだ、これからはエジソンを目指そう」と思い立った。


京セラを辞めてアルバイトをしていた26歳の頃
京セラを辞めてアルバイトをしていた26歳の頃。趣味は山歩きで、FA設計の魅力にはまだ出会っていない。

 すぐに図書館にこもり、分厚い紳士録から著名な電機メーカー20社の社長宅住所を調べ出し、書き溜めていた10件近い発明アイデアの特許明細書を冊子にして手紙とともに郵送した。まだ既卒者採用の前例のない時代で、受け入れてくれたのは当時の京セラの稲盛社長だけ。ただ、その京セラに入社して任された開発テーマはどうしても自らの信条に合わない。3ヵ月間の苦悩の末に退職の道を選び、「いつかは稲盛社長から受けた恩をお返ししよう」と心に刻んだ。26歳のときだった。
 京都の小さな会社で1年間アルバイトをした後、開発型ベンチャーとして名をあげ始めた会社に転職。2年が経った29歳のころから、自ら希望して携わったファクトリーオートメーションの機械設計にハマった。技術者一人ひとりの発想で顧客の声に応えていくクリエイティブな世界。「納得できる製品を作って顧客に喜ばれたい」と、納期に追われながら毎日のように日付が変わるまで業務に没頭して、機械の中で朝を迎えても疲れを感じない5年を過ごした。
 ただ、そんな現場の喜びを知らない経営者は、注目の企業としてマスコミにおだてられ、業績確保のために品質よりも売上を優先して帳尻合わせの経理処理を繰り返す。やがて、顧客からの高い評価を得ながらも、会社は事業整理に追い込まれた。
 「何をやっているんだ。私が事業を引き継げばもっとうまくできる」と、忘れかけていた「夢大きく生きたい」という志が蘇り、新会社設立を同僚たちに呼びかけた。しかし、時が経つにつれて主要メンバーの間で意見は食い違い始め、リーダーとして、同僚たちに高まってくる不安を解消してやれない。「だめだ。まだ時期ではない…」と、独立を断念した。


 「3年後には独立します」と宣言した上で別のベンチャー企業に転職して、画像処理照明の技術を更に高めながら働いていたある日、心の教えを説いた発刊されたばかりの書物がふと目に留まった。「利自即利他」「自他一体」「人のために役立とうという思いは人間の本能なのです」…。その一つひとつの言葉に「私も、もっと人に役立ちたい」と思いながらも、バブル景気の中で忙殺されていると起業意識は薄れていく。
 そして入社から5年が過ぎた1992年の39歳のときに、「やはり自分の思いで大きなことに挑戦してみたい」と、ついに個人創業した。「小さく始めて家族が食えるようにしてから人を採用していこう」という思いとは裏腹に、「夢は世界の1兆円企業だ」と決意した。妻は家計の助けにと友禅染めの内職に力を入れ始めた。
 しかし、バブルが崩壊して製造業の設備投資は極端に抑えられ始めていた。FA機械メーカーに向けてDMを送ってもまったく返事はなく、仕方なく設計の仕事を外注で請け負って、採用した電気技術者を顧客に出向させてなんとか食いつなぐ1年半。 
 食費を切り詰めるために、おかずはいつも豆腐にして、経費削減のために自宅から烏丸丸太町の事務所まで自転車で通勤。そのペダルを踏み込みながら、「必ず成功する。純粋な思いと行動さえあれば、いつか必ず天が道を拓いてくれる」と自分に言い聞かせていた。


(記載内容は2006年3月時点における情報です)