経営者の生き方から自分を活かす働き方発見・学びサイト「CEO-KYOTO」

車ほど楽しいものはない、とみんなに教えてあげたい
不動産会社を経営していた父に「社長が会社で一番偉い」と聞き、子供の頃から「社長になる」と決めていた。70年代のこと、父はアメリカ製の車が好きで、家にあった車はボンネットで昼寝が出来るようなフルサイズのもの。小学校にオープンカーで送ってもらうのが子供心に嬉しかった。アメリカ製の車ばかり載っている雑誌を、1日中眺める子供時代。すっかり「社長になる」という夢と「車好き」という想いが結びついていた。18歳の時、自動車小売業で1年間、19歳の時、中古車販売の業者間取引の会社で2年間勤めた。どちらの会社も、最初から経営者になるための修行のつもりで入社。自分で車を仕入れ、買い手を探す方法を勉強した。業者間取引の会社では、半年の間1台も売れない。訪問を続け、やがて取引先の経営者達に顔を覚えてもらえると、月に30台ほど売れるようになっていった。21歳の頃には、オフィスに居ながら電話をかけるだけで、売り上げ目標額を達成するようになり「大好きな車を扱っている」という感覚が失われてしまった。車を単に商品として流通させることがしたかったわけではない。「男の子の遊び道具のような髪型やファッションのような感覚で車を売買したい」という想いから独立する。

経営者を読み解く8つの質問

経営トップになってそれまでと変わったことは何ですか
旅行に行けなくなった
独立して9年間は1人で会社を経営していました。その頃は「寝る時間がなくなった」と思っていましたね。独立するまでは会社の中で1番働いているという自信がありました。でも会社を経営する立場になると、考えることも、することもたくさんあります。睡眠時間は毎日2時間か3時間。それでも1人の時は旅行に行くことが出来たんです。カナダでスノーボードを楽しんだり、アメリカや、アジアも周りました。仕事に慣れてきて、より多くの時間を作れるようになると、観光ビザが切れるまで海外に滞在することもありました。しかし、30歳の時、会社を今の形にして人を雇うようになると、旅行が出来なくなりましたね。例えば車の修理を担当してくれている社員は、手を油で真っ黒にして仕事をしているんです。僕だけ海外旅行なんて行けませんよ。だったら社員全員で…と考えて、社員旅行で海外に行ったんですけど、僕は1人で遊びたい性分らしく、楽しめませんでした。それすらも1度きりですね。今は旅行とは無縁の生活です。
もし、経営者になっていなかったらどんなお仕事をされていますか
放浪者
旅行が好きなので。海外に遊びに行っても、あまり計画などは立てません。アメリカへの旅行だと、あえて夜の繁華街に「冒険」と称して遊びに行ったりします。なんだか危ない香りがするじゃないですか。本当はそれほどでもない場所なんですけど、子供の頃憧れた、アメリカの車雑誌の世界を思い出すのかもしれません。そんな風に旅行を楽しむ僕には「放浪者」という言葉がぴったりだと思います。とは言え、経営者になっていない僕を想像出来ないんです。子供の頃から「社長になる」と言い続けて生きてきましたから。今41歳で、独立したのが21歳。もし経営者になっていなかったら、人生の半分、嘘をついてきたことになりますからね。
好きな言葉・座右の銘を教えてください
我も人なり、彼も人なり
自分が相手に認めて欲しいなら、まずは相手を認めろ。そんな意味です。子供の僕に、生きていく上で当たり前のこととして、父が教えてくれました。父は仕事においても「お客様に喜んでもらって、その対価として、お金を頂くんやで」と話し、「商売の基本は人を敬うことだ」と教えてくれました。独立前、中古車販売の業者間取引会社で働いていた頃。常に父の言葉が頭の片隅にありました。売り上げが芳しくない中古車センターの経営者に、「車が汚いから売れないんですよ」と言って、毎朝展示場の車を全部洗ったりもしました。僕にとってお客様に喜んで頂くことが仕事でしたから、洗車くらい当たり前のことでした。(口のきき方を知らない若造だったなあ)と今では思いますけど…。そうしたら、その中古車センターは繁盛して、「元野くんから車買うわ」と言ってもらって、付き合いが始まったり。父の教えのおかげですよね。大人になってから、「我も人なり、彼も人なり」という言葉を知り、父の言っていたことと同じだと思って…。それ以来、僕の座右の銘になっています。