経営者の生き方から自分を活かす働き方発見・学びサイト「CEO-KYOTO」

感謝の気持ちで、社員を教育し続ける
短大卒業後、21歳で就職。会社の創業時の営業マンとして節電機を売る仕事でした。社会人1年目、東京の取引先に、営業マンの教育担当として出向。とにかく自分のやっていることを一生懸命説明すると、教えた新人の業績が上がり教育の喜びを知る。23歳で本社に戻る。本社では新人の教育を全て引き受け、育てあげて自分は管理職、そして常務へ。常務として新人教育に力を入れながら、営業所展開のために新天地を開拓する日々。事務所を借り、人を募集して、教育し、所長を育てて、また次の土地に行く。その繰り返し。そんな折、会社の売り上げが下がる。「営業所を何ケ所か閉鎖し会社の規模を一度小さくしよう」という社長の話に、初めて反発。自分が今までやってきたことを簡単に潰されたくないという想いから、結局26歳で退職。次は大手企業で自分の力を試したいと一転大手メーカーに入社。いくら業績を上げても、何をやっても評価がない。「営業に行ってきます」と言って朝から晩まで車の中で寝ていても給与は同じ。このままじゃ自分がダメになると思って1年で辞めた。もう一度以前の会社に戻ることも出来ず、アルバイト時代を経て経営者に。その間、自分の仕事、教育の根底には「感謝の気持ち」があった。

経営者を読み解く8つの質問

経営トップになってそれまでと変わったことは何ですか
経費を気にするようになった
東京で所長をしていた時、当時の社長に言われた言葉が「純利益こそが会社だぞ」でした。その頃から少しずつ経費を意識するようになりましたね。営業職っていうのは、自分の成果が明快に見える職種ですよね。自分がどれだけもらっているか、どれだけの福利厚生を受けているかというのは、知識さえ身につけば分かること。そうなると、自分がどれだけ利益を生んでいるのか、黒字社員なのか赤字社員なのかが簡単に分かる職種なんです。経営の基本ってそこじゃないですか。いくらで仕入れて、いくらで売って、いくら残って、これが基本でしょ?商売の。社会人1年目からそんな風に考えて、営業をしながらお金のマネージメントをしてきました。それが経営者と言うものなら、自分は最初から経営者ですよね。所長時代、常務時代、そして今。規模が少しずつ違うだけです。
もし、経営者になっていなかったらどんなお仕事をされていますか
一度は、公務員がいいな。と考えましたね
今は公務員になりたいとは思わないですよ。公務員になりたいと思ったのは、27歳の時のことです。大手企業で1年間だけ平社員を経験して辞めて。前の会社に戻ろうとしても、「会社が苦しい時期に逃げ出した常務に、いまさら帰ってこられても納得できない」と、社員たちの猛反発にあって戻れない。アルバイトとして入った会社では、自分が自由に新人教育を出来るわけでもなく、営業としてのノウハウが会社のそれと合わず軋轢が生まれました。それで「もう営業をやめよう」と考えたんです。「営業をしているから、競争や軋轢が生まれるんだ」と感じたんですね当時の自分には。そんなとき電車のつり広告の、刑務士募集が目に入ってきたんです。ああ、刑務所のアレか、面白いなって。結構給料も良くて安定している。公務員には競争や軋轢が無いように感じました。それが公務員に憧れた時の心境ですね。でも、すぐに考え直しましたよ。今度こそ競争や軋轢を生まないように、周りとの調和を意識しながら営業を続けるぞ。そんな意気込みで営業職に戻りました。でも、やっぱり、数人並べられて営業ですよと言われると競争しちゃいます。性(さが)ですよね。競争するのは仕方がない。では、方針の違いで生まれる軋轢を無くすには?と考えたら、「自分が経営者になる」というのが、自分には自然な答えだったんです。今の会社が潰れたらどうするかって仮定したら?…ないなあ。また経営者をするかな?
好きな言葉・座右の銘を教えてください
継続は力なり
「継続は力なり」という言葉が好きになったのは小学校4、5年くらいの頃。近くに「アブラウシ」という場所があって。グラウンドからスタートして「アブラウシを2周する」という合計5キロの、小学生にはキツい課外授業があったんです。「どうして2周も走らないといけないんだ」ってダラダラしていると、なぜか3人か4人くらいはいつも一生懸命に走ってるんですよ。不思議でしたね。ある日にタイムを計ったとき。足の速さでは1、2位だった自分が、4、5位くらいまでに落ちたんですよ。その時の先生が「おまえ、いつもアブラウシのときにサボってただろ。だからこうなったんだ、『継続は力なり』って言うんだぞ」って言われたんです。それがきっかけかな。コツコツやんなきゃ、負けるんだってことを知ったのは。負ける悔しさを考えたら、しんどい思いをした方がいい。これが、その頃に学んだことですかね。