経営者の生き方から自分を活かす働き方発見・学びサイト「CEO-KYOTO」

‘縁’を大切にする気持ちが新たなチャンスを生んでいく
大学卒業後、地方銀行に就職する。営業など様々な職種を経験するが、誰かに指示される働き方になじめなず、自ら商売をしようと26歳で退職。まもなく父親から経営の全てを託され、実質的に家業を継ぐと、カキツバタを中心に生産・販売規模を順調に拡大する。「水辺緑化」というそれまで日本では未開拓だった分野に着目し、多様な水生植物の生産や輸入を本格的に開始。1995年に法人化すると、インターネット販売など新たな販売・マーケティングの手法にもチャレンジ。国内唯一の水生植物専門会社として全国に知られるようになる。首相官邸や京都迎賓館の庭園水辺監修など、自然を再現する水辺緑化の総合プロデュースも手がけるようになり、2005年には全国農業コンクールで名誉賞・農林水産大臣賞を受賞。水生植物の新たな可能性と共に、新しい農業経営のあり方を発信し続けている。

経営者を読み解く8つの質問

経営トップになってそれまでと変わったことは何ですか
影響力を持つようになった

家業を親父から引き継いだとき、経営は売上・収益ともに順調でね。だから今をどうにかしなきゃいけないという切迫感はなかったし、経営そのものを俯瞰して考えることができたのは幸運だったと思います。当時うちは典型的な家族経営で、繁忙期に若干名のパートさんを雇うといった具合でした。経営者として何をしていくべきだろうと考えた時に、まずは法人化ということを考えて、会社の理念として“社会貢献”をベースにしようと思ったんです。商品である水生植物について考えれば、これが世の中に広まれば広まるほど、緑化を推進できたりだとか、人の自然環境を守る気持ちを促したりだとか、実際に社会の役に立つことができます。そうなるためには、もっともっと会社を大きくしていかなきゃいけない。社会に対して影響力を持つようにならなきゃいけない。そんな影響力の発信源となるのが経営者の役割だと思うんです。従業員に語り、お客様に語り、事業を通じて社会に語る。それを自分自身で、自分の思いでやれるようになったことが、それまでと一番変わったところでしょうね。

もし、経営者になっていなかったらどんなお仕事をされていますか
やっぱり経営者
僕は人に使われるというのがとことん向いていないんだと思います。就職したときにそれはつくづく痛感しました。やっぱり一国一城の主でありたいんですね。銀行でそこまでなろうと思えば、45歳あたりまで頑張ってようやく支店長。そこまで待っていられませんよ。結局我慢できませんでした。
学生の頃はアパレル関係の業界に行きたいとも思ってたんです。感性的な部分で勝負してみたいというか、もともと芸術やデザインには興味がありましたから。それでも、どこかに勤めてずっとやっていきたいという風には思っていませんでした。たとえどこかのアパレル会社に入ったとしても、結局は独立していたと思います。
好きな言葉・座右の銘を教えてください
感謝
花を栽培するにはいろんな道具を使いますよね。例えばその道具ひとつとっても、作った人がいます。また道具そのものは、その素材が木であろうと鉄であろうと、もともと自然に由来しています。そういった、人や自然など全てに対して感謝するという気持ちを大事にしてるんです。お客様への感謝というのももちろんですし、あらゆる場面で「ありがとう」と言えるように心がけています。そういう態度で物事に臨めば、人生上手くいくと思うんです。道徳学でも経営学でも、人生や経営を語る人たちの多くが言っていることですし、そのとおりだと思います。従業員に対してもいつも「ありがとう」と言ってるんですよ。面と向かっては恥ずかしいから、心の中でね。