経営者の生き方から自分を活かす働き方発見・学びサイト「CEO-KYOTO」

自分が信じて選べば それが正しい道になる
「自分で何かやってみたい」という思いから、大学在学中に友人と共同でアルバイト情報誌の発刊を企画したが頓挫し、借金返済のために知人の印刷会社で働き始める。26歳で大手不動産会社の京都支店創設メンバーとして不動産業界へ足を踏み入れ、28歳を迎えると地元に密着した不動産会社に転職。多くの土地オーナーとの出会いの中で仕事の醍醐味を再確認し、1982年、30歳で独立を果たす。京都初のセンチュリー21加盟店となり、25年をかけてじっくりと地盤を築いてきた。2006年度はセンチュリー21関西圏において、グループ売上、店舗売上ともにNo.1の実績を上げている。

経営者を読み解く8つの質問

経営トップになってそれまでと変わったことは何ですか
時代を見て、考える力

独立当初は3人の小さな事務所やったから、「とにかく食っていかなアカン」と思っただけで、経営トップなんて意識は持ってないですわ。自覚するようになったのは社員数が30名を超えた10年程前からやね。バブル景気やその後の厳しいデフレなんかも経験して、いかにして30人の社員が食えるだけの仕事を確保していくか…。時代が変わっていくのを肌で感じながら、トップの責任がヒシヒシと迫ってきた。それで思い切って小倉や田辺の小規模店舗を閉鎖して、宇治地区に関しては本店だけをロードサイドに設けることにした。広い駐車場と明るい色を使ったガラス張りの店舗にして、お客さんは前の10倍近くに増えました。ウチが全国のセンチュリー21加盟店の中で上位の成績を上げているのも、ひとつはこの店舗作りにありますね。もちろん、一人ひとりの営業マンの使命感の強さがあってのことやけど、彼らがその使命感を持ち続けられるような土壌作りを、経営トップとして時代を読みながらやっていかなアカンなと思っています。

もし、経営者になっていなかったらどんなお仕事をされていますか
放浪している
今でも放浪生活を夢見ています。小学生の頃から川で魚を採ったり、神社のある山でメジロやウグイスをかすみ網で捕まえて餌付けしたりで、とにかく自然の中にいるのが大好きでね。高校ではワンダーフォーゲルの京都代表でインターハイにも出まして、実は『穂高住販』という名前は『山登り』からつけたんです。明日も昼から新穂高の平湯温泉の近くまで行って、明後日から2日間、山に入って行く予定でね。どうしても、自然の方に興味が向いてしまうし、旅も大好きなんやわ。
好きな言葉・座右の銘を教えてください
我、ことにおいて後悔せず

宮本武蔵

『死ぬ時に後悔しない』ということやね。何事に関しても、いったん決めてやったことなら、その結果がどう出ようと後悔はしない。「ああすればよかった」なんて思っていたらきりがないしね。僕がいつも会社で言っているのは『イキイキ生きる』ということ。自分がいかに張りを持って生きられるのかということが一番大事やし、そのためには前を見ないと始まらない。後ろを見だしたら後悔ばかりですよ。いろんな道があるからね。僕は正解の道なんてものは無いと思っている。いろんな可能性の道の中で、自分が最良だと信じて選んだものが正しいんや。そう思えるように、やっぱり自分の頭で考えて、自分で決めていかんとアカンよね。