経営者の生き方から自分を活かす働き方発見・学びサイト「CEO-KYOTO」

次に吹く追い風のために、今種をまく
高校卒業後、自動車エンジニアを経て21歳でアパレル業界へ転身。「Yin & Yang」ブランドプレステージショップの店長、イタリアブランド「マウリツィオ・ボナス」店の店長を務め高い実績を上げる。28歳で12代目の娘と結婚し、戦後に太物商(綿・麻の織物商)からタオル卸業に業態転換した株式会社エイラクヤに入社。営業赤字が続き債務超過で存亡の危機に陥った会社を自らが建て直そうと、入社7年目にして代表取締役社長に就任。倉庫に眠っていた昭和初期の手ぬぐいを復刻して新たに小売事業に乗り出し、織物商として400年近い歴史を持つ『永楽屋 細辻伊兵衛商店』をよみがえらせた。さらに新ブランド「RAAK」「大黒屋」を立ち上げ、2007年は様々なアーティストたちとのコラボレーションを展開していく。

経営者を読み解く8つの質問

経営トップになってそれまでと変わったことは何ですか
自分の責任を自分で取れること
私が入社した1992年には、戦後に始めたタオル卸業は海外のライセンスブランドに圧されて全く見通しが立たず、既に会社は恒常的な赤字体質になっていました。そんな中、本家の家長であり経営トップであった義父が急逝し、叔父が代表取締役に就任。しかし、永楽屋は代々本家が株のほとんどを持っていますし、その家長である私が何かあったときの責任を負うことになる。権限と責任のバランスが崩れた状態で、業績不振の抜本的改革も出来ないままに5年が過ぎ、とうとう債務超過になってしまいました。私は、「自分の力で納得できるまでやりたい」という思いに押されて自宅を売り払い、事業再建のための資金を作りました。周囲には「400年の歴史のある本家を何で売るのか」と反対されましたね。でもそれくらい会社は切羽詰っていた。その上で叔父に「(代表取締役を)辞めていただきたい」と切り出しました。そして、家の売却で得た資金を借入金の返済と、30人いた従業員を7人にまで減らす際の退職金に充てて新事業に乗り出したんです。社長に就任して、「これで自分のやりたいようできる。失敗して全て失っても納得できる」と、逆にホッと胸をなでおろす思いでした。
もし、経営者になっていなかったらどんなお仕事をされていますか
アパレル業
口では嘘をつくことができますけど、目に映るもの、形のあるものというのは嘘をつかないじゃないですか。形のあるものを作り上げて、それを販売するという仕事はとても分かりやすい。私はそういう仕事が好きですし、向いていると思っています。だからきっと今と同じような仕事をしていたと思います。何より『歴史に残るようなものを作りたい』とか、『本当に良いものを扱いたい』という思いは昔からずっと変わらない。それがカッコいいと私は思っていますから。
好きな言葉・座右の銘を教えてください
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす

平家物語 冒頭

時代は常に変化し流れているとういことです。会社も経営者が変われば全く変わると実感していますし。例えば、ノーベル平和賞を受賞したケニアの環境副大臣ワンガリー・マータイさんが環境に関する取り組みで『もったいない』という日本語を評価して、特に風呂敷がシンボリックなアイテムとして取り上げられてから、ブームが来ていますよね。うちも既にオリジナル風呂敷を製作していて、今まさに追い風が来ていると感じています。自分が「これや」と思ったことを信じて続けていると、たまに追い風がやってくるんですよ。その時は「芽が出ないなあ」と思っても、次に吹く追い風のために今、種をまく。その連続でやってきたなと思いますね。